ショートショートの玉手箱

ショートショートや短編小説を書きます。ときどきエッセイも。 中の人: 都内在住の会社員。大体三十歳。

芋粥(芥川龍之介『芋粥』より)

 SNSが社会的地位を確立した時代の話だ。SNSは人々の生活に欠かせないものとなり、一国の大統領ですら、自らの思想をSNSで呟く。そんな時代の話だ。


 その中に、五味という名の男があった。そして、それ以上特筆すべきことは特にない。学生時代の卒業アルバムを見ても、彼の姿はほとんど見当たらず、集合写真にようやくその姿を認められるのみだ。あるいは、集合写真でさえ、男の影を探し当てることは困難だった。まるで蛙の擬態で、それが彼の生きる知恵だったのかもしれない。

 

 そんな男の歩む人生といえば、たいてい相場は決まっている。冴えない学校を卒業し、冴えない会社へ就職。その中でもさらに冴えないポジションを与えられ、よれたグレーのスーツで、満員電車の通勤を毎日往復四時間繰り返す。二十五の頃、何かの間違いで結婚出来たのは奇跡に近い話であったが、それも、妻と一人娘に厭われ無視される現実を見れば、幸せに寄与したとは言い難い。


 そもそも、「五味」という苗字に生まれついたのが、彼にとっては運の尽きであった。同級生や同僚たちからは、うす笑いを頬に「ごみ」と呼びつけられ、実際それに違わぬ待遇を受け続けてきた。


 しかし、彼はそのような揶揄や嘲笑に対し、一体全くの無感覚であった。少なくとも、周囲の人間にはそう映った。男は何を言われても、泣くのか笑うのかわからぬ笑顔を浮かべ、「やめてくださいよ」と言うだけであった。彼自身、誹謗中傷に憤慨するだけの勇気や気力はとうの昔に捨てており、周囲の言葉は全て「イジり」として理解するしか術がなかった。


 では、男はただ軽蔑されるためにのみ生まれてきた人間で、「希望」の二文字とまるで無縁だったかというと、そうではない。


 五味は、ブログを主催していた。そして、いつの日か、そのブログがバズることを夢見ていた。何百万というアクセスを集め、日本中の人々から注目されることが、彼の願いとなっていた。彼自身、どこまで自覚的であったかはわからない。しかし、毎日のアクセス数をこっそりチェックすることが、ほとんど唯一の心の支えとなっていた。

 

 さて、この願い。


 意外にも、容易に実現する運びとなった。

 

 それは、いつもと同じ日のことであった。


 いつものように、会社では仕事の出来ぬことを冷笑され、家では家畜以下の冷や飯を与えられ、ようやく寝床へついたときのことだ。


 五味が何気なくブログを開くと、一通のメッセージが届いていた。曰く、

 1:もも
 件名:名無し
 はじめまして☆
 いつも楽しくブログ読んでます!
 管理人さんのアドレスへメールを送りました。
 そちらをみてください!

 

 五味は、「1を@に変えてください」とスパム対策までして自らのメールアドレスをページに載せていた。ただ、当然誰からも連絡はなく、スパムメールすら届くことがなかったので、自分自身その存在を忘れていたほどだった。眉をひそめてメールボックスを開くと、そこへ一通の新着メールを認めた。そして、震える手でその中身を開封した。

 件名:ブログの掲載
 突然の連絡すいません。わたし、アイドルをやっている桃田モカと言います!テレビとかに出てるの見たことあるでしょうか。
   
 実はわたし、「無名中年の徒然日記」の大大大ファンなんです! なんていうか、無名さんのふにゃけた文章を見ていると、こっちまで肩の力が抜けてくるっていうか、失敗したりイヤなことがあってもまあいいかな、ってなんだかラクな気持ちになるんです。


 だから、そんな無名さんの日記を、わたしのファンにも知ってもらいたいなって思って、もしよければ、ツイッターとかで紹介させてもらっていいですか? 自分で言うのも変ですけど、わたしがツイッターで呟けば、アクセス数がすごく伸びちゃうと思います。もし迷惑じゃなければ、ぜひ紹介させてください!

 

 読んでいて、手が震えた。


 心臓は、バクバク音を立てている。久しく忘れていた感覚で、このまま放っておけば破裂するか止まってしまうんじゃないかと思うほどだ。


 震える手で桃田モカのことを調べ、受け取ったメッセージは、どうやら確からしいと五味は結論付けた。生まれてから現在まで、周囲の悪意にさらされ続けてきた彼は、人一倍警戒心が強かった。甘い話は、まず疑ってかかるのが常であった。


 しかし、インターネットで調べたところ、「桃田モカ」という女性は、今をときめく実在のアイドルで、ツイッターフェイスブック、インスタグラムの全てでひっきりなしに更新を続けていた。「気になるブログがあるので紹介したいと思ってます!」「現在管理人さんの許可まち☆」という投稿もあったので、まず間違いないだろう。


 五味は、SNSには疎かった。しかし、百万、二百万という彼女の友達の数を見れば、その影響力は感覚的に理解することが出来た。彼女が推薦した瞬間、「無名中年の徒然日記」は一躍脚光を浴びるに違いない。


 そうなれば、アクセスは倍増どころか百倍増。あれよあれよと人々が押し寄せ、ブログの貧弱なサーバーはダウンしてしまうかもしれない。そして、雀の涙ほどあったアフィリエイト収入は、五味の本業、すなわちサラリーマンとしての収入を超えるかもしれない。


 夢想、妄想、空想が、次から次へ浮かんでは消えていく。その表情を妻や娘に見られようものなら、またいわれなき迫害を受けるに違いない。五味は布団をかぶると、もぞもぞと手元の携帯電話を操作した。 

 

 件名:Reブログの掲載
    初めまして。無名ブログの管理人です。   
 桃田さんに当ブログをご紹介頂ける件、ぜひぜひお受けさせて頂きたく思います。というより、むしろ、ご紹介頂けてこの上ない幸せです! なにせ、ご存知の通り、当ブログは日陰も日陰、日が当たらなさ過ぎて苔が生えかけているものですから(汗)


 新着記事を上げるタイミングになったら連絡致します。そのタイミングで皆様へ告知頂ければ幸いです。どうぞ宜しくお願い致します。

 

 

 五味は桃田モカへの文章を打ち終えると、二度三度推敲し、携帯の薄明かりに照らされ、満足げに頷いてから送信ボタンを押した。興奮のあまり、男はその夜眠ることが出来なかった。


 ようやく瞼が重くなったのは、鳥たちが外でさえずりを始めた頃のことだった。


 それから数日間、五味はほとんどうわの空で過ごした。元々うわの空ではあるのだが、その週は、さらに輪をかけてひどかった。職場でコピーを命ぜられれば部数を間違ったし、家でゴミ捨てを頼まれれば見事にそれを失念しておいた。遂に痴呆が始まったか、と周囲は嘲笑交じりのため息をついたが、それは五味の知るところではなかった。彼の頭を支配していたのは、ただ、どういう記事を上げるか、それがバズったらどうなるか。その二点だけであった。


 そして、いつも通りの週末土曜昼。携帯でポチポチとブログ記事を桃田モカへのメッセージを作成し終え、あとはそれを送信するだけ。その段まできて、五味は指の動きを止めた。


 あと二度か三度。手元の携帯の画面を操作すれば、きっと自分の人生は変わる。ブログでバズりたかったという長年の夢を叶えるだけでなく、富と名声もこの手に収めることが出来るだろう。ひょっとしたら、人気ブロガーということでテレビにだって出られるかもしれない。皆から疎んじられてきた人生にピリオドを打てる。


 しかし同時に、それと真逆の考が五味の頭へ浮かんできた。――本当に、良いものか。こうもあっさり、夢を叶えてしまって良いものか。


 五味はそれに対する答えを有していなかった。とはいえ、ここまできてしまったのだ。桃田モカには、次の記事を取り上げても良い旨返事をしてしまっていたし、実際、そのための記事も既に書き上げてしまった。もはや、後戻りすることは考えられない。

 

 後戻りは、出来ないのだ。
 
 五味は大きく息を吐いてから、ブログ記事のアップ、それと桃田モカへのメール送信とを、えいやと行った。ボタンを押し、送信が終了するまで、画面を直視していられなかった。そして、そのいずれもが終了すると、携帯を投げ出し、そのまま散歩へ出てしまった。

 

 外では犬の糞を踏んづけるわ、高校生と肩がぶつかり睨みつけられるわと散々だったが、それもさほど気にはならなかった。

 

 そして、散歩から帰り、ひと寝入りしようとして、どうしても寝付かれず、ようやく携帯へ手が伸びた。

 

 すると、ブログが示す数字は、見慣れぬ桁まで達していた。フェイスブックで共有された数は五万、ツイッターで呟かれた回数は十万、「イイね」を押された回数に限って言えば、ゆうに百万超え。アクセス数へ目をやると、その数なんと二百万に達しており、アクセス数を時系列に示したグラフは、今日の日付のところだけぴょこんといびつに飛び出していた。

 

 五味が阿呆のように口を開けている間にも、アクセス数は際限なく増え続けていく。きっと、桃田モカのアカウントを感染源にして、五味のブログがウイルスのように日本中へ広がっているのだろう。

 

 五味は、携帯の画面を前にして、額にかいた汗を拭いた。

 

 こう簡単に実現してしまって良いものか。

 

 今までの苦労はなんだったのか。五味は、これまでの十五年間、毎週欠かさずブログを更新してきたのだ。それで、累計のアクセス数は三万と五千二百。しかし、桃田モカが、楽屋の待ち時間か何かに指先でちょいちょいと宣伝しただけで、アクセス数は二百万を突破してしまった。昨日までのアクセス数を示す棒グラフが、それこそゴミのように薄っぺらく見える。なんだかそれは、自分の薄っぺらさを表わしているようにも思えた。

 

 もちろん、いままでの努力があったからこそ、ブログは桃田モカの目に留まったのだろう。本来、それが妥当で、正当な評価だ。

 

 だが、どうしても、五味には、その考えを素直に受け入れることが出来なかった。現実離れした出来事に、頭がついていっていなかったのかもしれない。あるいは、桃田モカが、せいぜい二十歳かそこらの小娘ということもあったかもしれない。

 

 五味がそんなことをぐるぐる考えている間にも、アクセス数はどんどん伸びていく。そして、ついに三百万の大台にまで達してしまった。五味が十五年かけて積み重ねたアクセス数の百倍だ。もし一か月続けば、その数なんと一億弱。アフィリエイト収入は、とんでもないことになるだろう。

 

 時間が経っても、アクセス数が衰えることはなかった。むしろ、話題が話題を呼び、テレビ番組でも取り上げられたせいで、アクセス数はさらに加速度的に伸びていった。コメント欄は賞賛と誹謗中傷といたずら書きとが混在していて、読んでいるだけでも気分が悪くなった。彼のブログを好いてくれていた古参の常連も、もはやその姿を見つけ出すことは出来なかった。

 

 昔へ戻りたい。

 

 一週間が経った頃、桃田モカから再び連絡があった。曰く、「もし良かったら、投稿のたびに呟いてもいいですかあ?」

 

 五味は、その画面を眺めながら、彼女と出会う前の自分を、懐かしく振り返った。それは、同僚や、家族に軽んじられている彼である。取るに足らぬ鈍物として、すれ違うたび、背中を指を差し笑われる彼である。職場では窓際へ追いやられ、家では娘と同じ洗濯機を使わせてもらえぬ、哀れで孤独な彼である。しかし、同時にまた、ブログで名を馳せたいという希望を、胸の内にただ一人守っていた、幸福な彼である。

 

 五味は桃田モカの申し出を固辞すると、「無名中年の徒然日記」を全て削除してしまった。そして、名を変え、新たにブログを開設し直した。

 

 新たに付けた「風のゆくまま気の赴くまま」というブログタイトルが、目の前の画面に煌々と光っている。まだ何も投稿されていない空のページを見て、五味は疲れたように小さく笑った。